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News / ニュース

2015/12/29 お知らせ

登山界“おちこち”の人、岩崎元郎さんに聞きました。

   Newsletter 2016年1月号
平成28年1月10日 第378号
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インタビュー連載 第10回

 

山の世界の彼方此方で活躍している人々をたずね、「そうだったのか。」を聞き出します。

多くの著書とメディアへの出番で、中高年登山者へ正攻法登山を伝道する登山家、岩崎元郎さんに安心・安全登山の極意を聞き出します。

── 東京新聞サンシャインシティー文化センターで「山歩き講座」を開始されたのが、1983年です。それから、1995年にNHK教育テレビで、「中高年のための登山学」が放映され、その後も、「日本百名山をめざす」、「日帰り登山で基本を学ぶ」など、テレビ出演が連続しました。まさに中高年登山者のお手本となるべき、登山インストラクターとして活躍してきました。岩崎さんがこうした活動で、一貫して主張してきたことは何でしょうか。


 83年のサンシャインシティーでの山歩き講座を始めるようになるまで、実は一般登山愛好家の人たちとの交流はありませんでした。自分のまわりはクライマー集団ばかりで、まあプロ集団のような仲間でした。昭和山岳会を出てから蒼山会を創立して、やってきたことはハードな登山ばかりでしたから、もしこのサンシャインシティーの講座の話しがなかったら、山で死んでいたか、とっくに山をやめていたかのどちらかです。きっかけとは人生を面白くしてくれます。
 最初のこの講座では、とにかく自分自身山が好きでしたから、ひとりでも多くの人が山へ登るようになって、いつまでも登山をつづけてほしい、と思っていたのです。しかし、実際講座を進めながら感じたことは、「この人たち大丈夫かな。」ということでした。山岳会で系統立てて登山を学び実践してきた私たちとはまるで違う人たちです。危なかっしくて、勝手に登ってよ、とは言えませんから、「じゃあ、一緒に登ろう。」ということになりました。登山と危険は切り離すことができないから登山の基本を身につけてほしい、と痛感したのです。
 山仲間同士の登山でもリーダー不在は危ないのだ、ということを徹底してきたのです。また、連れていってもらう登山ばかりでなく、自分で計画をつくれる、自立した登山者を増やすことが登山文化の向上になると考えていました。
 多くの講座や登山指導の機会が増えるにしたがって、山の仲間も広がり、松下村塾にならって、「無名山塾」として、山を学び実践する場を設け、それがいまに至っています。一貫してつづけてきたことは、安心・安全登山です。初心者にもわかりやすい、「バテない登山」とも言えるでしょう。
 

── 岩崎さんが提唱されている、「安心登山十ケ条」は、まさに安心と安全のための登山の掟ともいえます。


 最近は自分の頭で考えようとしない人も目立ち、一人でも多くの自立した登山者を増やしたいといつも思っています。ですから、わかりやすく十ケ条としました。
 「一、家族の理解を得ておく」、ということは、山は危ないところだけど、好きな登山へ、いつ、どこへ、だれと行くのかを家族に話しておく重要性です。そうでないと、「うちのとうちゃんが山から戻らない。どうしたんだろう・・・」、で遭難死亡となれば家族は突然奈落の底に落とされるようなものでしょう。「二、装備・服装を整えておく」、最近感じるのは靴の選び方です。いい登山靴を履くことです。「三、体力を養成しておく」、山は体力です。加齢とともに低下すれば、それにふさわしい登山をすればいい。「四、技術を習得しておく」、難しい登攀技術でなく、しっかりした歩行術を身につければ登山は楽しくなります。「五、知識を貯えておく」、これも当たり前ですが、地図を読むことができれば安全につながります。「六、計画を万全にしておく」、計画書づくりから登山は始まっています。「七、いい仲間を身近に育てる」、どんどん声をかければ仲間はできていくのです。一人で黙っていたら仲間はできません。「八、リーダーシップが発揮できる」、先に登山計画をつくり、仲間に声をかけ、自分がリーダーになるような人が最近減っているように感じます。「九、メンバーシップが発揮できる」、山仲間意識を強くもつことが安心と安全に直結します。「十、山岳保険に加入しておく」、自分は大丈夫だから保険なんていらない、という考えは自分勝手。事故が起きたら回りの人を皆巻き込むことになり、費用も膨大です。

 

── ところで、数え切れないほどの山行をされてきましたが、あえて、ベスト5の山、我が心のふるさとともいえる山、岩崎さんにとって、とくに印象深い山とはどこでしょう。

 

 まずは昭和36年7月に16歳で登った、甲斐駒ヶ岳黒戸尾根です。高校の同級生だった友人の実家に泊まり登った最初の大きな山です。次は、やはり鹿島槍ヶ岳荒沢奥壁北壁です。それからルート開拓に熱中した雨飾山です。これで3つ。他には、北海道の恵山、青森県の大尽山、石川県の人形山、沖縄石垣島の野底岳。低くて小さな山ですがどれもいい想い出ばかりです。
 つい最近、ネパールヒマラヤ、ジョムソンのトレッキングに行ってきました。いつも海外で感じることは、日本人は海の向こうから日本を見る必要がある、ということです。いままでも多くの海外トレッキングに出かけていますが、ネパールではその思いを強くしました。
 

(インタビューおわり)

 

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 初めて岩崎元郎さんと会ったのは、かれこれ40年以上前。当時の記憶はどういうわけかはっきりしているのです。岩崎さんには、「覚えていないな。」、と言われてしまいちょっとがっかり。その後、岩崎さんとは深いつきあいがないまま、サンシャインシティーの登山講座の会場で岩崎さんをつかまえて、「うちの会社で登山ツアーやりましょうよ。」と声をかけたのですが、あえなく敗退。しかし、いまは我が社社員の努力が実り、ご参加者のご理解とご協力のたまもので、海外企画“地球を遠足”シリーズは通算70回を数えるまでになりました。
 20代、30代 のころ、岩崎さん は先鋭的な登山を実 践して いました。1968年5月の鹿島槍ヶ岳荒沢奥壁北壁昭和山岳会ルート、1972年の雨飾山フトンビシ岩峰群など。白水社の「日本登山大系」の編集参画もありました。1981年のニルギリ南峰遠征は残念ながら登頂できませんでした。特筆すべきことは、岩崎さんが登った荒沢奥壁北 壁が2004年3月の馬目弘 仁パーティーのCMCルート開 拓まで、36年間誰も登らなかったことです。いま、中高年登山者の星どころか教祖的存在でもある岩崎さんの真骨頂はまさに往年のアルパインクライマーだということではないでしょうか。
 そんな岩崎さんは、相変わらずエネルギッシュに山と格闘しながら、山の上と下を行ったり来たりしています。加齢とともに山岳登攀から登山道歩きに移行するのは山屋の常ですが、岩崎さんが中高年登山者の伝道師たる所以は、多くの修羅場を踏みながら蓄積してきた自らの実体験をテレビ出演や著作として著すだけでなく、多くの登山愛好家といまでも山行をともにしているからだと思います。 
 岩崎さんが提唱する、「一億二千万人総登山者化計画」こそ、来年の新しい祝日「山の日」にふさわしい、日本を元気にする政策ではないか、と思うのであります。

(平成27年12月10日 聞き手:黒川 惠)