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2015/08/10 お知らせ

登山界“おちこち”の人 老舗専門出版社山と溪谷社の副社長、川崎深雪さんをたずねます。

     Newsletter 2015年8月号
平成27年8月10日 第373号
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インタビュー連載 第5回


山の世界の彼方此方で活躍している人々をたずね、「そうだったのか。」を聞き出します。
月刊・山と溪谷の三代目発行人は、ルフトハンザのキャビンアテンダントだった。老舗専門出版社山と溪谷社の副社長、川崎深雪さんをたずねます。

川崎 深雪さん
プロフィール
東京生まれ。聖心女子大学卒業後、ドイツに渡り、ルフトハンザドイツ航空に勤務。帰国後は、祖父・川崎吉蔵が創業した山と溪谷社に入社する。編集部、営業部などへの配属後、2009年より現職の取締役副社長に就任。


── おじいさまの川崎吉蔵さんが創業され、いまお孫さんが「月刊・山と溪谷」の三代目の発行人です。その山と溪谷社が85周年を迎えました。ところで、三代目となる川崎副社長の入社はいつでしたか。たしか前職は、外国系航空会社のキャビンアテンダントだったのでは。

 入社は、1995年ですから、いまから20年前で創業65周年のときでした。日本の大学を出てからドイツに留学し、94年12月31日に帰国してすぐ、翌年95年1月から印刷の基礎をまなぶために凸版印刷で研修をさせていただきました。出版と印刷は切り離しができませんから、本がどのように作られているのか、何も知らずに父が社長を務める会社に入るわけにはいかなかったということです。
 学生時代は第二外国語でドイツ語を勉強していましたが、もっとしっかりマスターしたいと思い、卒業後ドイツに留学しました。ある日、キャンパスに張り出されていた、ルフトハンザドイツ航空(LH)が社員募集をするというポスターを見つけ、応募したところ、キャビンアテンダント(CA)に採用されてしまいました。日本人枠ではない現地採用というわけです。
 CAは一般的にハードな職種だと思われていますが、労働規約がしっかり整備されていましたので、長距離乗務の後は何日間か休暇もありました。そんな時は、アルプスにもでかけることもできました。登攀でなくハイキングですけど・・・。冬は友だちとスキー三昧でした。やはり、山、というものにはいつも心に響く何かがあったように思います。ルフトハンザではファースクラスの乗務もありましたが、やはり、満席のビジネスクラスがもっともやりがいがあったと思います。

── 芝大門の山と溪谷社ビルから赤坂、九段、神保町と移転しながら、社内リーダーとして実力を高めてきた川崎さん。LHのCA時代は言葉も文化も異なる、多くの搭乗客とふれ合ってきて、そこで鍛えられたホスピタリティー精神はいまも活かされているのではないでしょうか。

 そうですね、今に活かされていることは、お茶をこぼさずお客さまに出すことくらいかしら(笑)。まずは、ヤマケイの社員がどんな場面においても、相手の立場も考えたうえで細かい配慮ができるような余裕をもった状態を目指していたいですね。そして、私たちメディアの活動によって、読者の方々の山や自然とのふれあいがより豊かなものになるようなホスピタリティを持っていたいと思っています。
 

── まったく職種のことなる、出版業界で戸惑うこともあったかと思います。電子版書籍はこれから広まっていくのでしょうか。分厚い月刊・山と溪谷が本屋の店頭に並ぶのを待っている読者も多いようですが。

 電子書籍が広まっていく一方で、紙の本を楽しみにしている読者も多いと思います。電子書籍の将来性はもちろん際限がありません。でも、紙だからこそ伝えられることや表現できるものもあります。たとえば、高精細な山岳写真を電子版で表現するのは簡単ではありません。一方で、電子書籍は検索性に優れていて、紙媒体のようなスペースの限界もありません。おかげさまで電子版週刊誌の「週刊ヤマケイ」の閲覧者も増えています。両方に対応していきたいので、いまは紙媒体と電子版どちらも手がけています。紙と電子の特色を活かした方法で山の魅力を表現し、新鮮で正確な山岳情報を適時に提供していければと思います。
 いま日本は多くの外国人ツーリストが訪れる国になりました。LHのCA時代からは想像ができないくらいの変化です。多くの訪日外国人がインターネットで日本の旅行地の情報を仕入れています。国民の祝日として“山の日”が制定されましたので、これからも、美しい日本の山を海外の登山者にもおおいにアピールしていきたいと思っています。
 以前は山岳写真集を海外で出版していました。ヨーロッパアルプスやネパールヒマラヤ、カラコルム、カナディアンロッキーなどです。川崎吉蔵が社長だった時代からフランクフルトの国際ブックフェアに出展し、海外での出版には力を入れていたのです。これからは海外に向けて日本の旅行案内書や登山ガイドブックを出すことができればと思います。


── 登山ガイドブックの本家ともいえる、「アルペンガイド」ですが、インターネットで山の地図が見られるようになりました。でも読図力がなければ猫に小判です。書店には数多くの山のガイドブックが並び、その優劣は判型、値段、読み易さや写真、デザインなどで判断されているのではないでしょうか。山岳図書専門出版社としての優位性は、観光ガイドブックではない、安心・安全登山の啓発も包含された、登山ガイドの内容そのものにあると思います。

 会員登録をすれば、アルペンガイドなどの登山地図が印刷できます。ガイドブックの優劣は、著者との信頼関係によって表れてもきます。山の熟達者がアルペンガイドを作るためにその山のそのコースを実際に歩いてくれる、これがヤマケイのガイドの特徴です。実際に多くの人たちに支えてもらってガイドブックができあがっています。ですからガイドブックの誤記載とかはほとんどないのですが、「コースタイムが違う。」とか、「バス停がなくなっている。」、という指摘や新たな情報はときどきいただきます。そういう場合は、重版や改訂のタイミングで適宜修正をしています。WEBサービスのヤマケイオンラインでは、最新情報をつねに更新することで、そういった重版・改訂に備えています。とにかく、ガイドブックを単なる「登山道の解説書」で終わらせずに、山に行ったら、その山のある土地の文化にまで触れられるような厚みがある内容を提供したいと思っています。

── ヤマケイ文庫になつかしい書名が並んでいます。単独行(加藤文太郎)、風雪のビヴァーク(松涛 明)、星と嵐(レビュファ)、処女峰アンナプルナ(エルゾーグ)・・・。いまや古典ともいえるこうした、山の名著がもっと読まれてほしいものです。

 読み継がれてほしい山の本を手に取りやすい文庫として出版できてよかったです。当時発刊された単行本はいまでは入手困難な状態のものがほとんどです。そんな名著を残していくことは、山と溪谷社の使命だと考えています。若い世代を含めて、たくさんの登山愛好者が手元に置いて、長い間読めるものとして文庫版にしました。あとがきや解説の執筆者を変えているケースもありますが、ほとんどの場合初版を文庫化しています。山の文化や歴史を次の世代へと残していきたい、という思いから出版しましたが、若い読者にも古典的な山の本が受け入れられたことはうれしいことです。

── さて、創業100年まで残すところ15年です。

 社員は入れ替わっても、創業時の理念の下で15年後も同じ志を保っていたいと思います。この先も専門メディア社として走り続けるためには、新しいジャンルを増やすだけでなく、同じことを繰り返すことがいかに難しいことであるかを私たち自身が知り、つねに苦労しなければならないと思っています。山と溪谷社の根っこは変わらないが、そこから新しいものが芽生えて、育ってくる、そんな会社でいたいものです。会社の節目の周年イベントでは、多くのOB・OGが集まってくれます。皆さん元気溌剌で在社当時そのままの論客ぶりを発揮しています。山と溪谷社創業100周年に向かって、こうした論客たちが、これからも会社の外から口うるさく言ってほしいものです。
 

(インタビューおわり)

 

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 山登りをする人なら山と溪谷社の本を必ず手にしているはずです。山の本だけでなく図鑑や山岳写真集、山のカレンダーなどでもよく知られている出版社です。その現場を率いるのは、見目麗しい創業者のお孫さん。いつもは仕事の話ししかしないので、このインタビューでは何を聞かれるのか、と少し身構えておられたようです。
 週刊ヤマケイの閲覧数や看板雑誌の発行部数は聞き漏らしましたが、川崎深雪さんは老舗の専門出版社の気概を十分に感じさせてくれました。月刊山と溪谷は、全国どこの書店でも入手できるし、図書館にもあります。でも銀行ロビーで見かけたことはありません。書店ではヤマケイ以外のガイドブックが平積みされています。ヤマケイ文庫には人気作家の山岳ミステリーのラインナップがありません。でも川崎さんは、「新しいジャンルを増やすだけでなく、同じことを繰り返すことがいかに難しいことであるかを知らなければならない。」と言っています。これは専門旅行会社として同感です。だから私もヤマケイOBとして、ないものねだりをしないで、これからはひたすら山と溪谷社を応援していこうと心に決めました。
 

(平成27年7月13日 聞き手:黒川 惠)