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2015/06/10 お知らせ

登山界“おちこち”の人 日本を代表するクライマーで、ATSツアーリーダーの谷口けいさんの登場です。

        Newsletter 2015年6月号
平成27年6月10日 第371号
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インタビュー連載 第3回

 

山の世界の彼方此方で活躍されている人々をたずね、「そうだったのか。」を聞き出します。

── いまさらいうまでもなく、アルパインクライマーとして大活躍です。またアルパインツアーのツアーリーダーも10数年努めています。それから企業研修のファシリテーター、という仕事もされています。そのファシリテーターとはなじみのない言葉ですが、どういう役割でしょう。

 企業研修のプログラム自体をその会社と相談して作って、そのプログラムを進行する役です。先生とかインストラクターではなく、ファシリテーターという役割でやっています。誘導する人。サポートする人。その人が持っている能力を引き出す役割です。ツアー中、お客さまには、「主役はご参加の皆さまです。私が皆さまをお連れするというより、日程は決まっているけど、その中でやりたいと思ったことや興味のあることは、どんどん質問して、可能性を追求してもらいたい。できないことはできないって言いますけど。」と言っているのですが、ツアーリーダーもファシリテーター的な役割だと思います。
 何度もそこをトレッキングしている自分がいままで見たことのなかったような視点で、お客さまがそのツアーを見ていることがあります。たとえば、いろんな本を読んできて、その地域の歴史をよくご存じの方や、自分の知らないようなことを知っているお客様もたくさんおられます。何度も同じコースを経験してきた自分自身が、お客さまから気づかされることがけっこうあります。だから、「私も含めて、新しいものをいっぱい発見しながら、ツアーをしましょう。」って案内しています。


── アルパインのお客さまは、事前にトレーニングやその地域について調べてくる方々も多く、それが山仲間意識を醸し出して、ツアーそのものの良質化につながっていると感じています。

 キリマンジャロ登山に参加されたお客さまですが、ヘミングウェイを若いときに読んで、登山をやっていたわけではないのですが、キリマンジャロに登りたくなり、アルパインツアーに問い合わせたところ、いきなりキリマンンジャロではなく、キナバル山を勧められて行ってみたら、自分の力が足りないことに気づいて、1年間トレーニングをしてキリマンジャロ登山に参加して、ウフルまでちゃんと登ったお客さまがおられました。そういう話を聞くとうれしくて、絶対に一緒に登りましょう、という気持ちになります。
 それから海外の山旅の魅力は、登山だけでなく、その土地の人々や風土にも触れることができるところです。旅的な要素も含まれていて、キリマンジャロならサファリとか、ちょっとお金や時間はかかっても、どうせ行くなら、その国のことをもっと知りたいと思います。ですから自分の遠征登山でも岩や雪や氷を登って登頂して、下ってくるだけでは嫌なのです。山麓やアプローチも大切にしたいと思っています。


── 2001年のマッキンリーが最初の海外登山でしょうか 。それから立て続けに、エ ベレスト清掃登山に参加し、2004年はゴールデンピーク(7027m)北西稜とライラ(6200m)東壁、翌年ムスターグアタ、シブリンとつづき、2006年マナスル(8163m)、2007年エベレスト、これはチベット側の北壁。2008年のカメット(7756m)では未踏の南東壁を初登攀し、女性では初めて、「第17回ピオレドール賞(金のピッケル賞)を受賞しました。

 もちろん、「壁」とか「頂」が目標ですが、そこに至るアプローチに私はとても興味を持っています。その土地の独特の文化や宗教や風習を軽んじたくはないのです。とくにヒマラヤは、高い山々の中にまでそこで生活している人がいます。マナスルも初登頂のころは、なんで、こんなところに外国人がやってくるのか、とまったく理解してもらえなかったと思います。おまえらが来たから、雪崩が起こるなんて言われることだってあったでしょうし、今でもネパールの山奥にはそういう信仰心が息づいているのではいでしょうか。

── 4月25日午前11時55分(現地)ごろに発生した、ネパール大地震は衝撃的でした。谷口さんのグループ(アンナプルナ・サーキット)は、マナンの手前で地震にあいました。本社の対策本部からは谷口さんとなかなか直接連絡がとれませんでした。 

 地震があったのはマナンの少し下の村の平地でだだっぴろい場所でした。建物のような揺れるもののないところでしたが相当に長かったので、地震国の日本人としての直観ですが、大きな規模の地震だと感じました。地震直後から、シェルパたちが電話をかけてもまったくつながりませんでした。そこで、次の村まで行きました。次の村は電気もなく、ちょっとしたパニックになっていて、ロッジやお店はすべて閉めていました。みんな外に出てきて今日は仕事している場合ではないというような雰囲気でした。でも、ひとつのロッジが受け入れてくれて、ソーラの電気もあったので、充電させてもらって電話できました。発生から5時間後くらいにやっと本社と直接連絡がとれました。
 本社の対策本部やサーダーたちとも協議して、トロンパスを越えてジョムソンに抜けるほうが交通機関を考えれば安全だと判断しました。トロンパスは、もともと落石のある場所なのですが、地震による落石はなかったように思います。情報が少ないので、すれ違うトレッカーや地元の人たちにはすべて話を聞いて、道の状況や地震のときのことなど情報収集しながら進みました。本隊より数時間早く、シェルパを先行させてから本隊がつづいて進みました。2,3日進んだところで、こちら方面には大きな障害も何もなく、本社からの情報で、エベレストBCでの雪崩発生やカトマンズ市内の被害が大きいことがわかってきたので、町に下るより自分たちのいる場所が平穏だったこともあり、日程どおりジョムソンに抜けるという判断に確信をもてるようになりました。
 

── エベレスト街道のグループの人たちはパグディンでランチをとっているときに地震にあいました。結局、エベレストのグループは、雪崩があったベースキャンプなどから大挙してトレッカーやクライマーが下山してくることが予想されました。カトマンズ市街が混乱しているといっても、ルクラからの山岳フライトもあるため、足止めになって下山できない可能性が大きく、引き返すことにしました。

 アンナプルナ方面(一周コース)はトレッカーが少なかったので、エベレスト街道のような大混乱はありませんでした。エベレスト街道は人気コースで、トレッカーや登山者も多いので、地震が起きて混乱していることは想像できました。
 ポカラからカトマンズにもどるのですが、さまざま情報があって、ポカラは非常に込み合っているというような情報もありました。ポカラの市街地は、ひび割れ以外には倒壊した家はなく、亡くなった人も一人もいないということでした。電気も水道もいつもどおり供給されているのに、観光客がいなくなって、これからどうしよう、とホテルの人たちは嘆いていました。
 カトマンズにもどってから、観光客が多いタメル地区を駆け足で見てきたのですが、中には倒れている家もあるのですが、密集しているので隣の建物によりかかっているという状況でした。相当古いレンガの家は壊れていました。ダルバール広場は、ひどいことになっていました。でも不幸中の幸い、と思うのは、大きな地震にもかかわらず、地震による火災の二次災害がほとんどなかったことです。日本のように都市ガスではなく家ごとに小さなプロパンなどを使っているので、火災が起きなかったのではないかと思います。道路もいっさい問題なかったです。旧王宮の外壁がすべて崩れていました。王宮の中にはさらに壁がありますが。その中に多くの人たちがテントを張っていました。

── 地震の後、現地の手配会社には、アルパインツアーがトレッキングで使ってきたテントをすべて被災した人たちに放出してほしいと連絡しました。その後、カトマンズにストックしていた食料も、全部放出したと報告がありました。多少なりともトレッキング装備が役に立ったと思います。

 家屋崩壊の被害ではテントは必需品です。カトマンズ空港では多くの支援物資を見ました。食べ物やテントなどです。各国からの支援要員と支援機材がたくさん集まってきて、滑走路が狭いため、定期便の国際線のスケジュールが乱れていました。こういうときにネパールにもう一つ国際空港があればと思います。


── この秋に計画している、カンチェンジュンガ近くの山の登攀は予定どおりですね。

 行きますよ。山はまだ最終確定していませんが、カンチェンジュンガ・エリアに決めています。おそらく地震の影響は大丈夫だとは思いますが・・・。ただ、今回ポカラで会った、地震の調査に来ていた人の話では、絶対に大丈夫だと思っていた、チトワンでも被害があったといっていたので、わからない部分もあります。
 私の知人でも4チームくらいがネパールの遠征登山を計画しています。いろんな援助のかたちがあると思いますが、山をやる人はまずは山にでかけてみないとはじまらないと思います。カンチェンジュンガは遠いので、アプローチの過程で出会う人もいっぱいいると思います。地震のときの話などを聞きながら、その地域の復興の様子など知ることも意義深いと思っています。
 今回ネパールにご一緒した人たちも、ぜひまた、来たいとおっしゃってくれました。ツアーリーダーとして、「また行きたい。」という言葉をいただけることはほんとうにうれしいです。地震で困窮している観光立国ネパールの復興にすこしでも役立てるよう、ネパールヒマラヤの魅力を訴えていきたいと思います。
 

(インタビューおわり)


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■観光立国ネパールの復興に向けて ヒマラヤトレッキングは観光立国ネパールにとって外貨獲得のための重要産業に育っています。東日本大震災を経験した日本では、東北の復興にとって観光がその土台になる、と旅行業界は声を大にして言い、当社も支援活動をおこないました。当時は遊興自粛の気運が非常に強く、東北の人が被災しているのに旅行ができるかという声も大きかったのです。そのうちに“南部美人”をはじめとする、東北の酒蔵が、「東北のお酒で花見をしてほしい。」と言いだしてくれたことで沈んだ雰囲気を払拭してくれたのだと思います。谷口けいさんと話しているとネパールは必ず立ち直る、そのために自分らがいつもと同じようにヒマラヤを登るのだ、という心意気が伝わってきます。
 創業以来強い絆で結ばれてきたネパールの一日も早い復興の一助となるために、私たちはトレッキング産業の復活で力強く支援してまいります。

(平成27年5月13日 聞き手:黒川 惠)