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2014/09/10 お知らせ

“創業45年の足跡をたどって”〈ニュージーランド(NZ)編〉南半球の島国のアルプス

Newsletter 2014年9月号
平成26年9月10日 第362号
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文:黒 川 惠  (くろかわ さとし)
アルパインツアーサービス会長

 

〈ニュージーランド(NZ)編

香港経由オークランド行き

 成田空港からニュージーランド航空夜行便で約10時間、南北の移動だから時差に悩まされる心配は少ない。しかし、直行便就航までは、キャセイ航空などで香港まで行き、そこからニュージーランド航空に乗り換え、北島のオークランドへ降り立ち、ニュージーランドアルプスの麓へはさらに乗り換え、南島のクライストチャーチへ行き、さらに小さな飛行機に乗り換えてマウントクック・ビレッジはずれの小さな空港へやっとたどりつくような長旅だった。往復丸4日かかったから、旅行日数は10日以上が普通だった。直行便運行までの長い間、NZは遠い国だった。
 1964年の西山会による、Mt.クック登頂、64年、65年の明治大学山岳部、69年の長野県山岳連盟隊が当時の登山記録にあるが、その後NZアルプスに遠征した日本隊は決して多くはない。長野県隊のように60年代は18日間も船に揺られて赤道をこえる遠征登山もあったのだ。海外渡航自由化直後とはいえ、まさに隔世の感がある。

マウントクック・ビレッジ

 70年代のおわりにはニュージーランド航空とニュージーランド政府観光局が日本人ツーリストへの観光プロモーションに力を入れてくれたが、さすがに登山やハイキングは旅行会社が自力で開発するしかなかった。そこで注目したのは当然ニュージーランド最高峰Mt.クック(3,764m)山麓のハイキングだった。当時のクック・ビレッジは現在と大きな違いはない。ハーミテージ・ホテルも、隣接する三角屋根のロッジもあったが、いずれも予約の確保は難しかったし、とくにハーミテージは高額すぎた。だから、空港脇のニュージーランド山岳会のロッジやカンタベリー山岳会の山小屋も利用し、キャンプ場でテント泊もした。
 現在の我が社の企画ではクック・ビレッジの宿泊は、ハーミテージ・ホテルである。現社長芹澤健一とホテル経営トップとの間にある信頼と友好がもたらしているともいえる。NZアルプスまっただ中の「隠れ家」とも言える、ハーミテージ・ホテルでの滞在は、NZの山旅の価値をさらに高めるはずである。


フッカー谷ハイキングとピーク登頂

 Mt.クック山麓でのハイキングコースは、まずフッカー谷だ。90年代半ばまではフッカー谷をつめて、山腹にある、フッカー小屋まで足を伸ばしていたが近年は歩行時間が長いのと途中で沢を渡る箇所が崩れているため氷河湖のずっと手前までとしている。それでも十分に最高峰Mt.クックの南壁の偉容を堪能することができる。

 クック・ビレッジからフッカー谷とは反対方向に向かい急登した小さな尾根上には水の澄んだセアリーターンズ(小沼)がある。その先さらにMt.セフトン(3,156m)の氷壁を眺めながら登りつめれば、Mt.オリビエ(1,933m)の山頂だ。この山は、南島屈指のリゾート、クイーンズタウンに聳えている、Mt.ベンローモンド(1,748m)とともに、登りやすいNZの山の代表格だろう。

ミルフォードとルートバーンの山道

 およそ20年前まで「世界一の散歩道」と形容されていた、「ミルフォード・トラック」を、「散歩道ではない。」と言ったのは、当時NZ企画を担当していた、現社長の芹澤健一である。ニュージーランド在住経験があり、多くのトレッキングコースで実体験をもつ芹澤は何度もミルフォードとルートバーンの山道を踏破している。そうした経験を踏まえれば、全長54kmを山中3泊4日で縦走するミルフォード・トラックを「(気軽な)散歩道」と称することはできないのである。観光促進の一環で山岳コースを気軽に歩けるような宣伝文句は大きな誤解を生みかねない。
 日本だけでなく世界中からトレッカーがやってくる、ミルフォードとルートバーンの山道はそこを踏破した者だけが味わえる充足感に満ちている山の領域なのである。

細る氷河

 かつて何度かタスマン氷河上にスキープレーン(橇付セスナ)で降り立った。氷河末端もまだ分厚い時代だった。しかし10年前に再訪したとき氷河は薄く、短く、細くなっていた。これはニュージーランドだけのことではない。この夏久しぶりにモンブラン山麓へ出かけ、シャモニ近郊のモンタンベールからメールドグラス氷河を眺めた。ここを初めて訪れた36年前には登山鉄道駅舎のすぐ下方にまで迫っていた氷河は年を追うごとに遙かかなたへ後退し、名残の氷河にはトンネルが穿たれ、観光客がスニーカー履きでまさに「散歩」しているのである。
 我が社の45年は、こうした大自然の変化を受けとめながら、これからも、その変化を否が応でも目の当たりにしてゆくことになるだろう。