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2014/08/10 お知らせ

“創業45年の足跡をたどって”〈カナディアンロッキー編〉花と氷河の山旅を求めて。

Newsletter 2014年8月号
平成26年8月10日 第361号
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文:黒 川 惠  (くろかわ さとし)
アルパインツアーサービス会長

 

〈カナディアンロッキー編


​Mt.ロブソン山頂

 42年前の8月12日、メンバー5名全員がカナディアンロッキー最高峰ロブソン(3954m)山頂に立った。南壁まっただ中に建つラルフフォスターハットから13時間かかり、さらにその小屋にもどるまで14時間を要した。幸運な夏のシーズンでも登頂できるのは数隊だけの山だから初めての海外遠征である学生隊が登れたのは実に運がよかったのだ。
 私はこの隊で、すでにアイスフィールド最奥の山、Mt.コロンビアやレイクルイズの南西に聳立する、Mt.ビクトリアなどカナディアンロッキーの9座に登っていたから、ロブソンが10座目となった。翌年は中大隊でキニーレイクに姿を写すホワイトホーンなど3座に登り、その後もくり返し登ったから、当時でも現在でも、個人ではロッキーの氷河の山に最多数登っている日本人の一人である。
 それはさておき、我が青春のハイマート(故郷)、カナダの山々は帰国後の人生に大きな影響を及ぼした。卒業後やっと入社した、山と溪谷社で働くうちに、自分のやるべきことは本づくりでなく実際に山へ行くことだと強く思うようになった。日本の登山者にロッキーの山々を味わってもらいたいとの思いで出版社を去り、1976年夏にアサバスカ山登山、翌年から、ロブソン北面へのトレッキングを開始し、以後「カナディアンロッキー花と氷河の山旅」の運行に邁進することになったのである。
 日本人にはまだなじみのなかったロッキーの山々は、その後わが社の主要デスティネーションとして多くのハイキングコースをメニューに加え、代表的な海外トレッキングの目的地として定着してゆくのである。

Mt.アシニボイン山麓

 1980年代半ばまで、ロッキーの人気コースは、北のロブソン、南のアシニボインだった。両コースともアプローチはまだ馬を活用していた時代である。ヘリコプターは救難用であった。だから、それぞれ2日間かけて、歩いて入山していたのである。アシニボインの直下にあるロッジは当時予約もとれず高額だった。ロブソン直下のバーグレイクの小屋はすでに半壊状態だった。だから、いずれも山中はテント泊だった。いま思えばまるで日本の夏山縦走である。お客さまも我慢してくれたし、私たちも馬のように荷物を担いだ。
 いま、わが社はアシニボインロッジの大口取引先である。現社長芹澤健一が培ってきた、オーナーとの信頼関係が快適なロッジ生活を約束してくれている。アネモネが咲き誇る初夏、カラマツが黄金色に色づく秋、雪に閉ざされた冬と春、この山群は、「ロッキーのマッターホルン」といった安っぽい形容では表現できない大自然そのものの魅力に溢れている。

CMHとガイドの役割

 カナディアン・マウンテン・ホリデイズ社(CMH)は、42年前の学生隊メンバーの憧れとなっていた。「山でメシを食っている」ガイド連中がたくさんいて、ルートについて聞けば商売抜きで教えてくれた。メンバーの中にはここに住み着いてガイドになるか、と言い出す者もいた。その欧州版はシャモニではないだろうか。70年代に渡欧して、アルプスでガイドとしていまも活躍している同年代クライマーもいるからだ。しかし、ロッキーではそれがなかった。派手なアルプスと地味なロッキーの違いではないかと思う。
 CMHの創始者ハンス・モーザー(オーストリア人)と親しく接したことはなかったが、後継者のマーク・キングスバリー(アメリカ人)とは親しかった。二人ともいまはいない。マークは最愛の家族を残し、オートバイ事故で死んでしまった。葬儀には私が出られず、当時部長だった、芹澤健一が参列した。
 創始者と中興の祖とも言える二人が、「ヘリ・スキー」でCMHを立派な会社に育て上げた。氷河に覆われ、さらに深雪が積もったロッキー山上に、山中のロッジからヘリコプターで運ばれ、パウダーを滑る魅力を訴えてきた。まさに新しいスキー・ビジネスの始まりであった。
 そのロッキー山中のロッジを夏場に活用して展開したのが、「ヘリ・ハイキング」だ。そもそも登山道がない、ロッキーの奥深い山々だからこそヘリの利用で、まったく新しい大自然への扉を開けることができるのである。
 「ガイドが、自然への扉を開けるのだ。」、というようなことをガストン・レビュファが言っていることを知っているか、と30年以上前のアサバスカ登山のときにお客さまから言われたことをいまでもよく覚えている。
 振り返れば、69年のアルプスから始まった、我が社の仕事はまさに、「自然への扉を開けること。」であり、一人では行けないでも行きたい、と思っている人々と、山でのよろこびを心から共有することなのである。